日露戦争への序曲

ロシアの港が凍らない不凍港を探していました。不凍港を求めていたロシアは南下政策を採用し、
露土戦争などの勝利によってバルカン半島における大きな地歩を獲得した。
ロシアの影響力の増大を警戒するドイツの宰相ビスマルクは列強の代表を集めてベルリン会議を
主催し、露土戦争の講和条約であるサン・ステファノ条約の破棄とベルリン条約の締結に至った
ロシアはバルカン半島での南下政策を断念その後の進出極東地域に向けることになりました。
このへんは、日露戦争を題材とした坂の上の雲にも詳しく載っています。
”坂の上の雲”から読み取ると 当時のロシアの勢いを感じますし日本がまだ近代化に向けて
ヨチヨチ歩きの状態からいきなり日本の窮地に追い込まれていった状態を感じ取ることが
出来ます。日本の軍備への近代化へ向けて海軍では、当時お手本を英国としていました。
また陸軍は、小説でもお馴染みの秋山好古などがドイツからフランスへとお手本にしていた
ようです。日本の騎兵の第一人者である秋山好古はフランスから騎兵を学んだようです。

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日露戦争へと参戦する日本

日本・は、欧米列強の対して近代国家となるべく朝鮮半島を自国の独占的な勢力化に進め 
朝鮮半島を支配的な立場にあった。清国と日清戦争勃発 勝利し 中国への進出を目論むロシア、
フランス、ドイツからの三国干渉によって下関条約で割譲を受けた遼東半島は清に返還しました。
しかし日本が手放した旅順にロシアは、旅順艦隊を配置して満州への進出を進めていました。
これに日英米が抗議ロシアは、撤兵を約束したがこれを無視 
増強を図った危機感を感じた今まで孤立政策をしていたイギリスは、
日本との同盟を結んだ。日露交渉(1903年8月)において日本側は、
朝鮮半島 ロシア側は、満州をロシア側にと妥協案を日本は提案したが 
ロシアの首相ウイッテは、戦争回避を主張しかしニコライ2世ロシア海軍・関東州総督の
アレクセーエフ 陸軍大臣クロパトキンは、主戦論派に周り戦争は避けられない状態になる。
1904年2月6日時の日本の総理大臣 小村寿太郎はロシアの外務省に国交断絶をします
ロシアもニコライ2世が2月10日日本への戦闘行為を容認しました。

日露戦争 当時を偲ぶもの・・

日露戦争 当時を偲ぶもの・・
こうして日露戦争が勃発していきます。日露戦争にでの有名な書物では、
司馬遼太郎の”坂の上の雲”があります。秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規の
3人の主人公を中心として画かれ 日露戦争全般を画くにあたり 
後半では、児玉源太郎、東郷平八郎、乃木希典 などの人間像も画いています。
また その小説を題材としての漫画 江川達也の日露戦争物語も有名です。
現在日露戦争に使用された軍艦三笠(みかさ)が当時知る物として残されています。
しかし現在こそ軍艦みかさは、保存状態も良く保存されていますがが一時は、
ダンスホールなどに使用されていたそうです。
これは、当時反対派など否定きてな考え方が支流だったのかもしれません。
現在は、反対・賛成色々な考え方があるようですが 船の状態を見ていると
過去を冷静に判断しようとする向きが見られます。
軍艦みかさに行くと売店で東郷ビール(トルコ?)を飲むことが出来ます。
これは、ここの名物的になっており 地元の人が良く飲んでいます。
また船内には、当時をしのばせる遺品や写真など数々の品が展示されています。

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Copyright © 2008 日露戦争の影響と戦略